妻 | 「あら、おばあ様、鞄なんか持ち出して、どうなさったん
ですか。」 |
夫の母 | 「だってもう三日もお邪魔しちゃったから、そろそろ
おいとましょうと思うんですよ。」 |
妻 | 「でも、昨日お葬式が済んだばかりで、まだ東京見物もし
てらっしゃらないんですもの。もう少しゆっくりしてい
らっしゃいませよ。」 |
夫 | 「おや、おばあさん、もう帰るんですか。もっと遊んでい
ったらどうですか。」 |
夫の母 | 「でもねえ。」 |
夫 | 「なにか気に入らない事でもあったんですか。」 |
妻 | 「こんな狭いアパートで、田舎からいらしたおばあ様には
お気の毒ですけど。」 |
夫の母 | 「いいえ、狭いのは東京だから覚悟して来たんですがね。」 |
夫 | 「何かあったんですか。」 |
夫の母 | 「実はね、夜よく眠れないんですよ。」 |
夫 | 「ああ、上がやかましいんですね。」 |
夫の母 | 「そうなんですよ。ちょっとうとうとしたと思うと、上で
ガチャガチャって変な音が始まって、それが夜明けまで
続いているんですからね。」 |
妻 | 「それ、マージャンですわ。いやですねえ。また上の学生
ときたら徹夜マージャンなんかして。この間、大家さん
に注意していただいたばかりなのに。」 |
夫の母 | 「その前の晩は十二時頃まで猫がしめころされるような音
立てて。」 |
夫 | 「それ、なんです。」 |
妻 | 「ギターですよ。」 |
夫の母 | 「そうそう、その西洋三味線の練習ですよ。夜十二時頃
まで。」 |
夫 | 「それは僕知らなかった。」 |
妻 | 「だってあなた、宴会で一時頃お帰りだったじゃない。」 |
夫 | 「あ、そうだっけ。」 |
夫の母 | 「一体、あの学生は大学で何をしてるんですかね。音楽
大学へ行っているんでもあるまいし、楽器ばかり鳴らし
てて卒業出来るんですかね。」 |
妻 | 「明るくてほがらかな学生と言うと聞こえがいいけど、
はっきり言うと怠け者なんでしょうね。」 |
夫 | 「僕も何度か大家さんに言ったんだが -- じゃ、今度は直接
に言いましょうか。ね、どんな顔した学生なんだい。」 |
妻 | 「いつもにこにこしたりこおうそうな青年よ。」 |
夫の母 | 「あんた方、どうして早く一戸建ての家に入らないんです
か。ね、こんなにうるさい所にいたんじゃ、子供達も
勉強が出来なくて困るでしょう。」 |
夫 | 「そりゃ僕に働きがないからですがね。でもいま大都市じゃ
住宅はものすごく高いんですよ。」 |
夫の母 | 「やっぱり政治が悪いんですかねえ。」 |
夫 | 「ま、おばあさん。今度はきっと僕が注意しますから、もう
一晩泊まってって下さいよ。」 |
妻 | 「お願いしますわ。子供達も明日の日曜に、おばあ様とご
いっしょにデパートへ行くの、楽しみにしてますもの。」 |
夫の母 | 「はいはい、じゃそうしましょうか。」 |