Lesson 9
アパートの生活
親戚に不幸があって田舎から来ているおばあさんが、年に似合わず なかなか起きて来ない。昨夜はよく眠れなかった。ちょっとうとうとした と思うと (1) 、上で大変な音がした、というのである。それは二階の学生が また遅くまで楽器を鳴らしていたからで、ちょうどおばあさんの寝た 部屋のまうえだったから、眠れなかったのも無理はない。 「あの西洋三味線ときたら、もう猫がしめころされるような音立てて......」 と彼女が怒るのを聞いていた小校五年の長男が、
「ギターだろうが、三味線だろうが、まともな学生のやるもんじゃない。 それを夜遅くまで......」と大変なごきげんである。
アパート住まいはしたくないものと思いながら、働きがないばかりに、 未だに一戸建ての家に住めないでいる。今度上に移ってきた学生は、 大変明るいほがらかなというと聞こえがいいが、はっきり言うとどうも にぎやかすぎる青年である。友達としゃべるか、マージャンに興じるか、 楽器をかなでるか、現代音楽を鑑賞するか、とにかく起きている間は 何かしら音をたてている。いくら頭が良くても、音楽専攻ならいざ知らず (2) 、 あれではとても試験に通るまい、それともよほどやさしい大学なのかなど と妻とうさばらしに悪口を言うのであるが、たいていの騒音は目ならぬ 耳をつぶって我慢している。私達が神経過敏なのかもしれぬという遠慮 があったのであるが、八十過ぎて耳の遠いおばあさんまでやかましくて たまらないというのなら、もはや遠慮する必要はない。
これで今夜もそうだったら、文句を言ってやろう、いや言わずにはいら れないと意気込んでいると、その夜に限って (3) コトとも音がしない。 そのうちに待ちくたびれて寝てしまったが、音がしないのも当然で、 とうとうその夜は外泊して帰って来なかったのである。次の夜は、 私自身が宴会で遅くなってこっそり帰って来る始末だし、次の日には、 盛んに鳴らしているから言ってやろうと階段を上りかけた (4) とたんに、 ぴたりと音が止まってしまった。まったく見事な肩すかしである。 専門は何か知らないが、案外孫子の兵法でも勉強している管理職志望 の優秀な青年なのかもしれない。翌朝、何事もなかったように 「お早うございます」とにこにこされると、前夜の恨みも意気込みも 朝露のごとく消えてしまい、残念ながら私は未だに文句が言えないで いるのである。
会話文I
A: ちょっと、御相談いたしたいことがございますが。
B: 何でしょうか。
A: 二階の学生さんの事なんでございますがね。
B: ああ、この間から入っていただいている方ですね。
A: ええ、うるさくて困っているんですが。毎日マージャンをやったり、 ギターをひいたりして、一日中大騒ぎをしてるんでございますよ。 恐れ入りますが、ちょっと注意していただけませんか。
B: そうですか。それはお困りでしょうね。さっそく注意いたしますかか。
会話文II
A: 困りますわね、あそこのアパートの二階の学生さん。
B: 何がでございますか。
A: お気付きになりません。一日中、大変な音を立てて。
B: ああ、あの学生さんの事でございますか。私は鈍いせいか (5) 、あまり 気にならないんでございますけど、宅が気にいたしましてね。会社から 帰ってくるといらいらしてるんでございますのよ。何とかしようはない もんでございましょうかね。
会話文III
A: 恐れ入りますが、お宅の坊っちゃんの事でちょっと。
B: 何でございましょうか。
A: あの、なんでございますけど - 私は鋭いほうで、構わないのですが、 主人がとっても気にするものですから。
B: とおっしゃいますと、あの、うるさいということでございますか。
A: ええ、申し上げにくいんでございますけど。
B: いいえ、本当にことらこそ。いつも注意するんでございますけど、 またよく申しておきますから。本当にどうも申し訳ございません。
会話文IV
A: 恐れ入りますが。
B: なんですか。
A: もう少し静かにしていただけませんでしょうか。今日は、お客さんが ありますので。
B: うるさいですか。
A: ええ、うるさくて仕方がないんですよ。
B: そうですか、どうも気がつきませんで。これから静かにします。