<Lesson 3
名前
日本人の名前は、しばしば、その正しい読み方とは関係なく音読みにされる。 日本人は伊藤博文を「いとうはくぶん」と読んでなにも不思議に感じない。 名前は本来、一人の人に一つしか付いていないものだから、「ひろぶみ」が 「はくぶん」ではあり得ない (1) ことは当然だ。それなのに、これを許している のは、漢字というやっかいなもののせいだろう。たとえば、最もやさしい 漢字「一」が名前として使われる場合には、「おさむ」、「すすむ」、 「はじむ」、「はじめ」、「ひとし」、「まこと」、「まさし」という 七通り (2) の読み方があるのだから驚く。正しい名前の読み方がどんなに むずかしいかということは、容易に想像できるだろう。このような事は、 ローマ字で書く西洋人の場合にはもちろん、同じ漢字を使っている中国人の 場合にさえ起こらないことだ。しかし、この起こらないはずの事が日本語の 場合には起こっている。しかも伊藤博文など「いとうひろぶみ」と言われる と、かえって、奇異に感じるのだから妙なものだ。はっきりしない時には、 音読みにして平然としているという癖が日本人の間にはあるようだ。
しかし、ある場合には、平然としているというよりは、むしろ 親しみ (3) や 少々ふざけた気持ちをこめて音読みの名前が使われることもある。 「淳(じゅん)いますか」と言ってたずねてくる人がいたら、それは、 淳(あつし)さんと親しい間柄の人で、彼の名前が「あつし」であること をよく知っている人である。それなのに「じゅん」などとやる。
名前の読みの難解さ のゆえに、けっして本名を読んでもらえぬ (4) 人々もいる。 私の義兄など、その母親が「大西祝」に私淑して付けた「祝(はじめ)」 という名は、初めての人には、だれにも読んでもらえなかったそうだ。 腹を立てた彼は自分の名前が読めるか読めないかで、先生の教養度 (5) の 採点を始めた。が、残念まがら小学校から高校までの十二年間に、 まちがえずに読めたのは、年を取った漢文の先生ただ一人だった ということだ。悪いのは、先生ではなくて、むずかしい名前を付けた 彼のお母さんのほうだろう。
このあいだの総選挙で大分県のある候補者について、博士論文の研究資料 を集めていたアメリカ人の学生 C 君は、テレビのインタビューで、 「どなたを研究していらっしゃるのですか」というアナウンサーの質問に 対して、即座に「高木文生(ぶんせい)です」と答えていた。「ふみお」 が本名であることを承知の上で (6)、周囲の日本人が「ぶんせい」、「ぶんせい」 と呼ぶのを聞き覚えてのこと (7) だろう。研究テーマに大した影響を及ぼさない のだから、いっこうにかまわないのだろう。ここまで来れば、外国人の 口本研究も物になっているのかもしれない。「博文」を「はくぶん」と 読む日本人に対して、「本名も知らないで」と軽蔑のまなざしを向けている うちは、まだまだ研究も初歩の段階と言ったら言いすぎであろうか。
会話文
A: ちょっと教えてください。
B: なんですか。
A: この人の名前の読み方なんですけどね。
B: どれどれ。さあ (8) 、わかりませんね。「名乗り辞典」調べてみましたか。
A: 「名乗り辞典」ですか。いいえ。ここにありますか。
B: ええ、その本棚の上から二段目にあるでしょう。
A: ああ、ありました。… … だめですね。
B: 出てませんか。
A: 出てるんですけどね。この字いくつぐらい読み方があると思いますか。
B: 三種類ぐらいでしょう。「あつし」、「きよし」、「まこと」。
A: 残念でした。これにはね、五つ出てきますよ。「あつし」でしょう、 それから「きよし」、「すなお」、「ただし」、「まこと」。
B: そうですか。ずいぶんあるもんですね。調べてなんに使うんですか。
A: 名簿を作ってるんですよ。鈴木が五人もいるでしょう。だから …
B: じゃ、本人に聞いてみるんですね。電話あるでしょう。
A: ないんですよ。だから困ってるんです。
B: じゃ、適当に並べといちゃ (9) どうですか。「まこと」とか、なんとかに 決めちゃって。まちがっていたら、あとであやまればいいですよ。
A: しかたがないですね。じゃ、そうします。どうもお騒がせしました。
= 留 意 語 句 =
不思議に感じる。
ふざけた気持ちをこめる。
博士論文。
研究資料を集める。
影響を及ぼす。
ここまで来れば物になる。
軽蔑のまなざしを向ける。
辞典で調べる。